モンゴルラリー奮戦気2005

ラットガレージ

アクセス

メール

トップページ

ラットガレージ
ラリー2005

2006年8月に行われたベイジン・ウランバートルラリーの参戦記録です。

ベイジン、ウランバートル2006

2005年ベイジンtoウランバートル(BTOU)が終わり1ヶ月がすぎた9月半頃2006BTOUはにわかに動き出した。やはり完走どころかまったく歯が立たなかった思いは2006年を諦める事を許さなかった。また、ミニに注目していた人たちに、やはり無理なのだと再認識させてしまった事や、自分自身の中にふつふつとした冒険心などいろいろな理由をもとに2006BTOUへの出場を決意した。
今回の2006BTOUはちょっと特別な意味がある大会で、SSERがモンゴルの大地でラリーを開催するようになり通算10回目の記念すべき大会でしかも、モンゴル建国800年にあたるモンゴルとしても記念すべき年なのだ。そんな記念すべきラリーに参加できるのは光栄である。
今回の挑戦は、2005とは大きく違い、3台でゴールを目指そう!!
2005のテーマは、モンテカルロぽい感じでだったが、2006は三台ということもあり、イタリアンジョブならぬモンゴリアンジョブ!そうミニミニ大作戦である。メンバー募集は6名でと言う予定であったがすぐに席は埋まった。実に1週間ほどであった。そして、11月4台目のエントリーがあり、それに加えてメカニックスタッフも1名追加になり、なんと9名の大部隊が誕生した。チームは、かなり活気に満ちていた。
メンバーおよびチーム構成は以下のとうりである。
■1号車赤 ドライバー 北川 ナビ 田中
■2号車青 ドライバー 渋谷 ナビ 矢野
■3号車白 ドライバー 北川 ナビ 細川
■4号車オレンジ   ドライバー櫻井 ナビ 後藤
■メカニックスタッフ 長坂
以上のメンバーですべてのゴール地ウランバートルを目指すことになった!!!!

▲このページの一番上へ戻る

車両製作

2005年で使用した車両は大破していたので使用は不可能で、みんなで研究した後使えそうなパーツを取り外し退役。2006年用の車両を製作することにした。
我々のコンセプトは以下のとうりである。
1、できるだけゴミを出さない
2、できるだけ安く
3、できるだけ頑丈に
4、4台とも基本的な作りを同じに
5、燃費を稼げるように
そう我々が出場するクラスは、エコチャレンジ。
順位もさることながら、燃費も競うことになるのである。また、ゴミを出さないと言うのもエコにつながると考えてのことなのである。
まず車両を手に入れる。車両選びは、まだまだ使える現役バリバリではなく、今まさに解体を迎えそうなミニを使う。
1号車は、運良くドンガラの事故車の赤を知人からいただいた。ベース車両は92年のインジェクション初期のものだと思われる。かろうじて足回りが付いているかんじだ。
2号車はもう何年も動いていないガンメタの91年型キャブクーパー。錆さびなうえに、エンジンもなし、とりあえず足回りが付いた状態。いずれ青に塗り替えることになる。
3号車は、これまた運良く87年白を手に入れた。しかし状態はかなり厳しく、床から地面がしっかり見える状態。作業中困難が予想された。
4号車は、87年シルバーのチェルシーこの車はわりとしっかりしていたがやはり錆がひどい状態。いずれオレンジに塗り替えることになる。
以外の車両は11月末にすべて揃い本格的な製作スタートに移った。ついにラリースタートである。

まずバラバラにする前に車両が使えるかどうか動くようにすることが先決という事で、3号車、4号車は比較的はやく動くようになりそうなので、各部分のオーバーホールを急ピッチで進めた。 1号車、2号車はエンジンすらないので、作りこんでから試走しようと言うことになり、5月くらいを目処に作業を進めることになった。 三月中ごろには3,4号車ともに走れるようになったので今のうちに練習をしようということになり、まず距離を走る練習ということで、1000キロの道のりを下道オンリーで走破するというかなり過酷な練習を行った。この練習の趣旨は、モンゴルを走った経験上30時間くらい走りっぱなしという日が何日もつづくので、それになれるため、そしてその時の精神状態の異常などを体験すること。モンゴルの500キロとほぼ同じくらいと考えると1000キロにあたるのだ。実際にどんな感じかというと、土曜の早朝5時くらいに出発して日曜日の朝8時くらいにゴールという感じなのだ。しかも今回は スペシャルメニューとしてゴールした瞬間にマップを見ながら走る80キロほどの林道プチラリーに行くと言うものが追加されていたので、さらに過酷さを増していた。しかしこれでもまだ甘いくらいだと思った。(メンバー全員がモンゴルで痛感することになる。なぜなら、こんなのが10日間続くから) 実際に3号車は茨城県水戸市まで行き、4号車は岡山県まで行って折り返してきたそうだ。そして、林道ラリー実際にゴールしたのは、日曜の夕方メンバーはヘトヘトで帰ってきたさすがに疲れたようだ。

▲このページの一番上へ戻る

車両完成

そんなこんなで、なんとか4台すべてが揃ったのがゴールデンウィークも過ぎた5月末。みんな、休日、平日寝る時間を削っての作業により遂に完成したのだ。完成車は自作のロールゲージが付き、廃材から作り出したメーターパネル、フレームの補強等など2005年の弱点を補っていて、とくに大きな違いは配線や配管などすべて室内を通し、マフラーもセンタートンネルの中を通し、フルカバーされていること。下からのダメージを激減させることができる。その甲斐あってこの辺りのトラブルはほとんど無かった。 車両をモンゴルへ送るまでそんなに時間が無いため、1,2号車の1000キロテストは省く事になった。ただし砂上のテストやガレバのテストはしたかったので、某河川敷まで行き砂にミニを埋めて脱出させる練習、ランクルやジムニーがアタックしているような場所を走ったりしていた。 ランクルの人たちは爆笑していた。こちらは大マジなのになぁ。。。
それから猿投アドベンチャーフィールドの方たちにも協力していただきガレバの訓練もした。その甲斐あって車両感覚に磨きがかかった感があった。 6月20日で不安ではあるが、すべての練習を終えて最終的なチェックに入った。かなり過酷な練習もしたので、車両のチェック、そして車検に備え装備品のチェック、丹念に繰り返し行った。 そして7月1日遂に車検をむかえた。
車検は横浜の大黒ふ頭で行われた。車検会場までは自走で向かった。高速を爆走していると非常に目立っているようだった。 車検会場には、怱々たるメンバーが揃っていた。パリダカを毎年走り続けているチームスガワラの菅原 義正選手、日本でのパリダカ先駆者的存在、横田 紀一郎選手、ラリードライバー池町 佳生選手などなど、普段絶対に会うことができないような方たちばかりだ。 菅原さんは1960年代ミニでレースに出場していたことでも有名である。
そして実際の車検は4台とも特に手直しすることなく、すんなりとパスできたのであった。2005からすると快挙だ。みんなで頑張った成果だと思った。 あと1ヶ月後にはモンゴルの大地に居るのだと思うと興奮と不安が入り乱れていた。それからの1ヶ月間は皆必死に仕事をして、その時を待った。

▲このページの一番上へ戻る

いよいよ出発!!

当日持込の工具などを整え一路成田空港へ。
空港に到着後中国の通過元に両替しさあ出発!空の上からとても綺麗な富士山が見れた。なにか良いことあるかもと思いつつビーーールを飲んだ。 あっと言う間に中国北京に到着昨年同様北京は暑い!ホテルはとても歴史のある北京飯店やはりゴージャスである。荷物を置いてしばらく北京市内でも観光と言うことで、天安門広場へ。あんなに悲惨な事件がおこったとは信じがたいくらい人人人なのであった。天安門の中の定食屋的なところでマーボー豆腐など食べてみる。豆腐の硬さに驚いた。意外にうまい。まさにちょっとした観光気分だ。その後商店街をぶらり、ものすごい活気である。値切れば値切っただけ価格はさがる。 もうやけくそな感じがした。
夜パーティーがあり中国の演舞また食事を堪能しとても楽しい時を過ごした。 残念ながら今年も中国からのスタートはできず、次の日にモンゴルへ飛行機で向かった。やはり政治などが絡むのだろうか、いつの日か北京からスタートできるといいのにと思った。
ウランバートルへ向かう日の朝前日に預けたGPSを返してもらった。しかしそのときに田中君のはGPSポイントダウンロードできなかったよ、と言われ???と思いつつすべて100箇所くらいのポイントを手動入力することに。それから北京の空港でも機内、ホテルに着くまで必死に打ち込む。 気づけば、ヌフトホテルにいた。涼しいいのだ。すごく。いい感じだ。 ヌフトホテルはウランバートル郊外にあり、まわりは緑の絨毯と小高い山に囲まれたグッドロケーションにありちょっとした山岳リゾートっぽい感じである。 チェックインを済ませるとすぐにオレンジつなぎに着替えてコンテナへ向かった。コンテナの中をのぞくと1ヶ月前に日本を旅立った我々のミニ達が鎮座していて、これがまた誇らしげでかっこよいのなんの!エンジンはスターターを回すとたちまちめざめ、日本にあった時となんにも変わらなかった。どうやら他のミニたちも問題なくエンジンはかかったようだ。コンテナからホテル脇にミニ達を移動し、日本でやり残した作業に取り掛かった。ブレーキホースを交換したり、インカムを取り付けたりと大忙しであった。気づけば辺りは真っ暗で作業が終わったのはPM11時ごろ。モンゴルの日暮れは遅いので日没がPM10時頃ついついだまされるがもう寝なくてはならない時間である。夕食を簡単に済ませ、もう何日も浴びることができないであろうシャワーを堪能し、ようやくベッドへ。しかし緊張からかあまり眠れない。起きればスタート。緊張と言うより、興奮かな? 横のベッドでメカ担当のJがグーグー言っている、、、、そしていつの間にか寝ていたのか目覚ましで起こされた!

▲このページの一番上へ戻る

エタップ1

遂にスタートの朝、空はすっきりと晴れ渡り気持ちの良い朝だ。気持ちを新たにつなぎに袖を通した。 グランドスタート前のゲート辺りには大勢の見物人や選手、スタッフでごった返していた。モンゴリアンたちはミニを珍しそうに見ていた。モンゴルのテレビ局も取材に来ていた。そう今回は夕方のニュースとかでちょっとしたコーナーがあるらしいのだ。 グランドスタートはAM9時エコチャレンジ2輪からスタート。ホンダカブ(ハンターカブ改)が勢いよくスタートを切った。そう、今年も愛媛銀行はウランバートルを目指しチャレンジしてきたのだ! そして遂に我々チームラットガレージのスタート、モンゴリアンジョブのはじまりだ!!4台のミニが一斉にスタートラインを切った。
エタップ1はリエゾン(移動区間)が36.67KM、SS(競技区間)が297.27KM、トータル333.94KMで競われる。初日とあって短いエタップである。 まずはじめにやることは、ICO(ICOとは、加算、減算のできる距離計)の誤差を修正することだ。 Ssで距離が合わない様では困るのでしっかりあわせる。調整も終わり。コマ図(ラリー用の地図大会側から渡されるもの)を再度チェックする。たまに外に目をやると、とてもよい景色が大パノラマで広がっている。 あっという間にSSのスタート地点に到着。我々を抜いていったバイクやスタッフたちはすでに到着していた。大会主催者の山田さんをはじめとするスタッフの乗るヘリコプターも既に用意されていた。 SSスタートは10時半からである。目の前に広がる雄大な景色を前に初めての人は誰でも息を飲む。

我々のチーム全員で目指すウランバートルは、はるか遠く、3500キロ以上先で、この時はまだ壮絶な戦いになることも、それが想像を遥かに上まわっている事も、誰にもわからなかった。
にわかにスタートラインあたりが慌しくなってきている。スタートラインへの誘導が始まったのだ。 しかし、スタートラインからいきなりピスト(道の事)らしきものが見当たらないのが気になる。 大会会長がコース試走をしている時期がまだ雪が残っている時にする為、地形が変わる事も当然ありなのだ。 スタートラインに着くとスタッフの人がここから南の方へ行け、あの山の上の鉄塔を目印に行けば良いと教えてくれた。 我々の前のチームは、横田紀一郎さん率いるチームACPの三台、プリウス、ハリヤー、ランクル100このチームは昨年のエコチャレンジの覇者である。今年も連覇を狙っている。                     愛媛銀行のカブ、ジムニー組は、既にスタートしている。続いてACPが出て行った。砂煙がどんどん遠ざかっている。そしていよいよチームラットガレージの番だ。スタート順は赤、青、白、オレンジの順である。遂にカウントダウンが始まった。5.4.3.2.1.GO!ピストの見づらい草地をすすむ。すぐに砂のピストに入った。スピードを下げ、他の3台が追いついてくるのを待つ。CAPは130~180 (CAPとは方位を数字に置き換えて表示するもので、北が0で右回りに数字が増える。つまり180と言えば真南)で走行。まずは南下である。 1キロも行かないうちに全車揃った。さあいよいよ本番、ナビ同士で無線のやり取りが行われる。 四人のナビがそれぞれにチェックしながら走るので、心強い。ICOの距離を気にしながらやりとりが続く。しかし10キロほどいったところでミスコース。しかしこれは合流できると思いそのまま進む。案の定合流、はっきりしたピストに戻った。そこからはかなり正確に進んで言った。 ミニはダートでの乗り心地は悪いものの、なかなか快適で、今のところ不満は無い。今年はダラダラ30~60キロのスピードで行こうときめていたので、昨年ほどむりはしない。ドライバーはいらいらかもしれないが、これが壊さないための1つの策である。GPSポイントをどんどんクリヤーし順調にどんどん進む。ピストの状態も刻々と変化する。1キロ前までは砂っぽいピストなのに、今度はガレ場という感じで、それに合わせスピードも変化する。
しばらくして、ものすごく開けた気持ちの良い草原に出た。見渡す限り地平線までの草原。あまりの景色のよさに休憩を入れる事にした。そこで皆いきなりランチパックに手を出した。(ランチパックはいわゆる昼ごはん。このランチパックのゴミを、次のビバークまで持ち帰り。それと引き換えに次のランチパックをいただく。ゴミのポイ捨て防止のためである。こんなところにもエコロジーが息づいている。) そして57.16キロポイント3つ目のGPSポイントあたり。この辺りからナビが複雑で少々迷いながらも、うまくクリヤーそして4つ目のGPSポイントもクリヤーし、その直後ミスコース。引き返しもとのピストに一度戻る。この場所で愛媛銀行のチームと出会った。我々が引き返す中、彼らは向かってくる。お互い止まってちょっと話した。どうもカブのICOが壊れているようだ。少し修理を手伝って、自分たちは戻ると告げると、カブの平岡氏は、このまま行ってみると言うのでそこでわかれた。 少々戻ると遠くにオフィシャルの車が横切るのが見えた。やはりミスコースだったなと確信した。答えが見えないかぎり、人の行動に惑わされ不安になるものである。5つ目のGPSポイントは丁度100キロ地点、割と順調なペースだ。そこから12キロ付近で村が見えてきた。マップは村の方へと導いている。遂に村に突入。昨年村で苦労した記憶がよみがえる。村のナビは難しくて、一歩間違えるとそうとうなタイムロスにつながるのである。しかしそこは4人のナビが大活躍。なんなくクリヤー。先頭を入れ替わり立ち代りで楽しく走る。

130キロポイントあたり6つ目のGPSポイントを過ぎ、目印もまばらになってきた。そして、196.30キロのCP(チェックポイント)までもう少しのところまで来た。そしてその手前の村に入った。マップには道なき道を進むとある。ここで重要なのはCAPとGPSである。少々迷いながらもクリヤー。ここから結構急勾配の岩山を行く事になる。荒れたピストをガンガン登る。すると目の前にドーンとマップに記されている、火星基地のような鉄塔と言うのが見えた。ほんとそれっぽい、ごつごつの岩山に突如巨大アンテナが立っている。それと同時にCPが見えた。ホッとした。やっと休める。早々にチェックカードに記入してもらい、車を降りた。すると登る事に必死で全然気づかなかったが、2台居ない事に気づいた。無線で連絡。青は勾配の途中で、オーバーヒートを起こしたらしい。どうもラジエターファンが不動らしい。オレンジはガス欠。??えっガス欠?と思ったがその時はあまり気にしなかった。しばらくして2台とも上がってきた。すべての車がチェックを終え休んでいると、今回もオフィシャルで参加の菅原 照仁さん(この方もパリダカのカミオンクラスに出場、菅原義正さんの息子さん。日本レーシングマネージメントの代表でもある)がオレンジの左後輪になんか絡んでるよ。と指摘。よく見ると蛇腹のダクトがバラけて、中の針金がブレーキに絡んだのである。とりあえずタイヤをはずして除去。このときの時間pm600、この日から魔の6時と言う言葉がチーム内で生まれた。 少々遅れて後半戦へ。このあたりからCAPが300~320を向き始めた。北のほうへ向かっているのだ。残り100キロほどあと2~3時間でビバークかな?と思っていた。 Cpを過ぎて2つ目のGPSポイントを越えもうすぐ3つ目のGPSポイントと言うところで、まさに痛恨のミスコースしかしCAPとGPSを頼りにどんどん進む。しかしこのままのピストを追っていくとGPSの軌跡を見るかぎりビバークからどんどんはなれることに気づいた。これはまずいと車を止めた。 どうも小さな山脈をはさんでいるらしく、このまま進むのは危険と判断し進路を変更。しかしもう20キロから30キロほどミスコースしている感があった。今来たピストを引き返すのではなく、南下して元のオンコースになんとか混ざろうと意見がまとまり、今度は南下。予想では10キロほどでオンコースとクロスするだろうと読んだ。GPSを頼りに慎重に進む。何本かピストを越えてこれじゃないか?と言うピストにあたった。じっくり観察するとバイクの作ったわだちや4輪のラリータイヤが作るわだちを発見。そいつを右折。しかしこの時はまだ半信半疑であった。いったい何キロずれたところに出たかもわからないので、ナビは必死にマップをにらみつけながら目標を探す。気づけば辺りは真っ暗闇。そう日没を過ぎてしまったのだ。そして、ようやくマップを確認できたのは、262.23キロ地点。これからすると30~40キロほどミスコースした計算になる。このときすでにpm11.30は過ぎていた。この日最後のGPSポイントを過ぎて285キロ付近これまた痛恨のスタック。坂道な上に砂の深めなピスト最悪である。1台1台皆で押して脱出。もうこのときビバークの明かりが夜空を照らしているのがわかった。それでは出発と皆エンジン始動する中、オレンジに異常発生と無線が入る。 どうも電源がまったく落ちてしまっているらしい。電気系のトラブルだ。とりあえずバッテリーをみる。 「あっ予備タンクがプラスの配線に接触している!」つまりショートでヒューズが切れただけであった。 とりあえず復活。ビバークで直す事に。
そして、後方から他のバイクと車の明かりがチラチラ見えた。愛媛銀行だ。こちらも急いで出発した。286キロ地点ぐらいで、ビバークのJさんと無線がつながった。主に整備が必要な車が二台ある事と修理内容を伝え場所の確保をお願いした。もうビバークは目の前に見えていた。もう少しだと安堵に包まれているときに再び過酷な所へやってきた。ちょっとしたデューンだ。やばい!アクセル全開だ!スピードが落ちれば絶対埋まる。赤ミニは何とか砂地横の草地まで逃げる事ができた。 しかしはじめての本格的なデューンでそれも突然だったため、3台は埋まったらしい。少し硬いところで後ろを向くとやはり3台は動かなかった。助けに行こうと一度反転したが、こちらも多分埋まってしまうため断念。そこへZ1(菅原照人さんの乗るビックホーン。アルファベットの最後がZと言うように一番最後から来るオフィシャル。カミオンバレイとも言う。つまり回収班)がやってきて、牽引してくれるらしい。後はZ1に任せて先に行く事にした。初日最後に洗礼を浴びた気分だった。 赤ミニがビバークに着いたのはAm1.00ころ、他の3台はAm1.30ころだった。皆チェックを受けて、食事をとって、すぐに整備に移った。3号車白ミニに大問題発生!エンジンマウントがちぎれている。白ミニメインに整備する事になった。昨年のリタイヤ原因の引き金になった部分だけに、早急に手を付ける。Jさん、ホソ、徹が付きっ切りで作業した。スタート時間を過ぎても作業は終わらず、続行した。しかしスタート時間から30分過ぎると失格になってしまうため何とか走れるようにして、スタートした。そしてすぐさま車を止めて続きをやって、なんとか復活できた。根性である。 結局この日ほとんどのメンバーが一睡もすることなくスタートしたのだった。皆疲れている中ほんとによく頑張った。気を取り直してエタップ2へ、、、、

▲このページの一番上へ戻る